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Grails : 究極のスニーカー vol.2

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有色人種とゴルフ

米国ゴルフ協会の顧問であるマイケル・クーパー氏は、歴史的に黒人がどのようにスポーツから除外されてきたかについて簡単に説明している。

「スコットランドにて始まったゴルフの歴史は1600年代、1700年代にまで遡りますが、米国では1800年代後半にゴルフが始まりました。当時許されていたのは白人であり、男性だけでした。そして、それは長らく変わることはありませんでした。」とクーパー氏は言った。

1961年まで、プロゴルフ協会では白人限定の条項があった。 この条項が取り消された後、チャーリー・シフォードはPGAツアーでプレーした最初のアフリカ系アメリカ人となった。

「彼の最初のトーナメントで、最初にグリーンに到達したのは彼でした。その時人々はトイレに立ち、ボールを蹴り出し、罵声を浴びせました。彼はホテルに泊まることすらできなかったのです。許されることと、受け入れられることは別のことだったのです。」とクーパー氏は言った。

この歴史を踏まえて2024 FWのカプセルコレクション、CHANGE 1961は始まったわけだが、それは先のお話。当時からEastside Golfはこの歴史を重んじ、CHANGE 1961のコンセプトを胸に秘めていたのである。

Eastside Golfの始まり

Eaststide Golfを立ち上げた2人の起業家は、ゴルフコース上での多様性を促進することで、自分たちのブランドが有意義な変化につながることを望んでいる。

アジャナクは大学卒業後、スポンサーを見つけ3年間プロとしてプレーしようと努めたがそれは叶わず、自分自身を養うには「もう無理だった」と語った。 彼は商業金融の世界にたどり着いたが約 7 年後、人生を楽しむべきだと考えるようになった。 彼はゴルフというスポーツの中で、自分には別のアプローチがあるかもしれないと考えた。

「自分はプレイできる場所が見つからなかったが、私と同じような人々がよりゲームに参加できる場所を作れるかもしれない。結果、本格的にロゴを作り、その背後にあるストーリーや、ロゴが何を表しているのかを考えた。ゴルフに必要なものは何か、と。」とアジャナク氏は語った。

その頃クーパーはデラウェア州ウィルミントンの市長室で仕事に就き、週末にはゴルフを教えていた。そんな中、アジャナクが彼がデザインした新しいロゴを見せてきた。

「彼は大興奮して、『クレイジーなことが起きている。信じられないだろう。みんなこれが大好きなんだよ』と言ったよ。俺は『おい、それをTシャツに着けた方がいいよ。これはカッコいいから』」とクーパーは語った。これが2人の今を作り上げたオリジンである。

これらの内容の全ては「Grails : 究極のスニーカー」にて知ることができる。それぞれの視点からのEastside Golf、有色人種とゴルフの関係性、そしてスニーカーの持つ魅力。是非一度その目でご覧になってほしい。歴史は始まったばかりだ。

オラジュワンとクーパー

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